『歌うように伝えたい』の発売を前に。

画家ささめやゆき様の個展に乃木坂の画廊を訪ねた。この度、私が書き下ろしたエッセイが6月15日に発売になる。その『歌うように伝えたい』の本のカバーにささめや様の絵を使わせてもらった。
30年前にやはり、ささめや様が宮沢賢治の『ガドルフの百合』を絵本にされた時、その個展で家内が原画の一枚を買った。それ以来ずっと居間に掛けていたその絵を私はこの本の装画として使いたくて、ささめや様に許してもらい使用した、その御礼の挨拶に行ったのだ。そう私はガドルフなのだと思い続けてこのエッセイを書いていたのだ。

おれの恋は、いまあの百合なのだ、百合の花なのだ、砕けるなよ!
一瞬の稲妻の閃光の中でひときわ白く浮かびあがる百合の花、ガドルフはその百合に力強く願いを込める。ガドルフの、いや私にとっての百合はなんだろう……。

生き残った命のカケラと記憶の底の、また底の……いくら目をこらしても、もう見えなくなってしまった、見失ってしまったことへの焦躁と憧憬。そんなエッセイを書いてみたかったのだ。灯りを消した薄暗い画廊で、ささめや画伯の幻燈紙芝居を観ながら、私はそんな事を思っていた。

お知らせとして。

書き下ろしエッセイ『歌うように伝えたい』塩見三省著

発売日は6月15日  全国書店にて 定価;1870円 発行;角川春樹事務所

本と街

ここ大川「隅田川」の流れと共に暮らし40年を超える。しかしこの秋に横浜に引っ越すことにした。時間はまだあるが、少しずつ溢れ出した本の整理を始めた。狭い家のせいで本が溜まると何年かに一度、本の出張買取のS堂さんに来てもらっていたので、今回も頼んだ。若いご主人だが本のことをよく知っていて楽しい。私の長兄は30年前に亡くなっているのだが、彼の所有していた太宰治、島尾敏雄、織田作之助などの戦後まもない頃に出版された初版本が私の手元にあり、これを処分するのならと神保町の古書を扱われている店の中でも最も信用度のある書店を紹介された。

都内に緊急事態宣言の出される前の日、晴れた土曜日に、季節は少し早めだが、神保町のすずらん通りの揚子江菜館で、我が家毎年恒例の富士山(冷やし中華)を食べる目的も合わせて、その書店に兄貴の本を持ち込んだ。結果は私が大事に保管していなかったこともあり、思っていた値にはならなかったが、ツマはその古書店の静かな整然とした感じ、古書の山に、本を愛する雰囲気に魅せられていた。私はこの店で兄貴の本を処分してもらおうと思った。しかし、その中で思い出のために織田作之助の本を一冊だけ返してもらうことにした。近くの文房堂に行き、本の売値からすると高くついたが本の額装を頼み、ツマと揚子江菜館で昼御飯を食べ、少し神保町を散策して帰宅した。明日からは感染症のために古本屋さんまでもが休業するという。
いつもは少し裏道に入り「ミロンガ」などでお茶をするのだが、横浜に行けば、なかなか神保町にも来れないと思い、何年ぶりかで「さぼうる」に寄った。洋菓子の柏水堂、餃子のスイートポーヅなどは無くなったが、店も来ている人たちも神保町はいつもあまり変わらないのが好きだ。この古書の町で処分したこと、まあ兄貴も許してくれるだろう…。

本と私

病に倒れて7年が経つ。手足の不具合のリハビリや、たまの撮影の間にポツポツと、闘病のこと、亡くなられた忘れられないあの人たちのこと、今を励まされながらの大切な人たち、消えて忘れ去られた風景や時代のことなどを、ここ3年ぐらいかけて書いてきた。それが一冊の本として、私の初めての書き下ろしエッセイとして出版されることが決まった。6月半ばに刊行予定で、詳しくはまた5月の終わりにはお知らせできると思います。
俳優を生業として生きてきたが、病に倒れて不断の苦しみの中から、どうやら、もう一つの表現の道を与えられたようである。
幸せなことである。